成人の日/個性化時代に旅立つ君たちへ | 世界日報サポートセンター

成人の日/個性化時代に旅立つ君たちへ


 きょうは成人の日。今年は百四十三万人が成人として旅立つが、一九八七年の百三十六万人に次いで少ない数という。昨年は戦後六十年の年で、一つの大きな時代を画した。新しい時代の希望を託し、その象徴としての新たな成人を祝福したい。


大志を抱き目標掲げよ


 一世代を三十年と数え、親から子、子から孫へと二回の世代替わりを経ると一区切り、つまり時代の一スパンが終わるという歴史や自然に対する考え方が昔からある。六十年という期間は、その時代の政治、経済、思想、科学技術などの実績を収拾するのに要する時間だ。今年の新成人は、前時代の果実でもあり、また新しい時代を拓(ひら)く種でもある。


 国家百年の計と言われるこの間の教育行政を見ても、試行錯誤の中で、一つの結実を見ているような気がする。豊かな経済事情も反映して、善くも悪しくも個性化教育が盛んである。スポーツの世界を見ても、二十歳前後の若者がそれぞれの分野で主役に躍り出ているのはその成果だろう。


 一人の天才が生みだされるには、良き指導者、同僚との切磋琢磨(せっさたくま)が要るが、そうした教育環境、教育システムは公立、私立にかかわらず模索されつつある。また個性化を実現するには、より規範的な学びの場、人格形成の場が必要だが、それを理解する若者も多くいると思う。


 こうした機運の下に育った新成人は、実力と、より協調性を備え、例えば企業に入ってもさまざまな分野で活躍したり、発明、発見をする人材に育っていく可能性がある。大企業に勤めるもよし、また中小企業を背負って立つもよし。中小企業も、専門性が深化し、自らの技術力を高め、技術開発力を確保し、親企業ないし顧客との共同開発のための力や提案力を持たなければやっていけない時代になっている。


 いかなる立場でも、迅速な意思決定と責任の明確化が求められる。より責任ある地位に就くよう、大志を抱き目標を掲げてほしい。


 しかし一方で、いや応なく、時代の負の遺産も背負わなければならない。米国発の「ジェネレーションY(Y世代)」という新語が日本のマスコミでも見られる。主に一九七五年以降に生まれた若者たちで、団塊ジュニア世代(七一―七四年誕生)の後の世代を指す。日本では、今や百五十万人前後といわれる若者の“自発的失業者”たちの群れと重なっている。就業したものの職場になじめず、さっさと離脱してしまう。


 少子化問題が先鋭化した世代が団塊ジュニア世代であるとすれば、就業問題ではY世代が問題を孕(はら)んでいる。新成人たちはその次の世代に当たる。また今、国会で議論の対象となっている年金や医療、福祉問題などは、政治の最重要課題の一つだ。新成人にとっては“過去の問題”かもしれないが、このような重なる難問を克服していく重要な役割を引き受け、一歩を踏み出していかなければならない。



国家の将来を双肩に担う


 また、自民党は昨年、新憲法草案を公表し、そこに「自衛軍」の任務として日本防衛だけでなく、「国際社会の平和及び安全の確保」を明示した。しかし日本の伝統や文化の継承については無頓着で、粗雑な点も目立っている。憲法改正や、国の安全保障についても大人の一人として真剣に考えてほしい。日本国の将来はまさに君たちの双肩に掛かっている。月並みなはなむけながら、しかし実感としてそう思わざるを得ない。

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